映画『ゲンスブールと女たち』でフランスを知る

コンプレックスって、創造の源なのです。そしてコンプレックスを抱えている人間はとてもセクシーだから、魅力的。

「モテたかったら人生に苦悩して女に甘えな」という大胆不適なメッセージを感じます。日本でもモテ男と称される方々はこの手法がうまいのでしょうね。

醜男でユダヤ人であるという彼のコンプレックスを、大胆にカリカチュアライズして具現化しているところも感心させられるほど面白い。

フランス映画らしいところ(良いところも悪いところも)全開の映画なので、人を選ぶ作品かなとも思いますが、伊達男の苦悩とモテっぷりを勉強させられる映画です。

いやあ、モテるのも努力が必要ですよね。

ゲンスブールと女たち

ゲンスブールと女たち』(原題:Gainsbourg, vie heroique)は、2010年のフランスの映画である。フランスの漫画家であるジョアン・スファールの長編映画監督デビュー作であり、自身のグラフィックノベルを原作としている。

ジェーン・バーキン役のルーシー・ゴードンは撮影後に自殺し、本作が遺作となった。

物語は1991年、62歳で急逝した芸術家、セルジュ・ゲンスブールについて。

酒とタバコ、音楽と自由をこよなく愛し、作詞家・作曲家・歌手・映画監督・俳優・画家とマルチな才能をもちながらも、反体制的で強烈な作風で常にセンセーションを巻き起こし、今なお世界中のアーティストたちに影響を与え続ける偉大なカリスマ。
そして、フランス・ギャル、ブリジット・バルドー、ジュリエット・グレコ、ジェーン・バーキン、ヴァネッサ・パラディなどの才能を開花させ、ハンサムとは言えない風貌ながらも独特のダンディズムで数々の女性たちに愛されたフランスきっての伊達男。

その破天荒でセンセーショナルな生涯、そして今なお色褪せることのない伝説が、数々のシャンソン、ジャズ、フレンチ・ポップに彩られスクリーンに甦る――。

バンドデシネ作家ジョアン・スファール初監督作品。

作詞・作曲・歌手・映画監督・俳優・画家、とマルチな活動で知られるフランスの芸術家、セルジュ・ゲンスブールの半生を、フランスの劇画(バンド・デシネ)作家、ジョアン・スファールが映画化。

幼少時代の1940年代から第一線で活躍を続けた日々を経て、晩年となる80年代までを描く。

ロシアから移民したユダヤ人家庭に生まれ、容姿にコンプレックスを抱えたリュシアン・ギンスブルグがセルジュ・ゲンスブールと名を変え、才能を開花させていく様子を、劇画作家ならではの着想にファンタジックな描写を加えて描く。筋金入りのゲンスブール・ファンを自認するスファールのツボを抑えた演出、表情や仕草を研究し尽くしてゲンスブールになりきったエリック・エルモスニーノの熱演で、説得力あるスキャンダラスな芸術家の肖像が描き上げられた。

ゲンスブールを愛し、ゲンスブールに愛された女性──ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキンらとのエピソードも必見。ゲンスブールの遺した名曲の数々も堪能できる。

ストーリー

1941年、ナチス支配下のフランス、パリ。暗い時代にユダヤ人の両親の元に生まれたリュシアン・ギンズブルグは、ピアニストの父から受ける厳しい音楽のレッスンに辟易し、煙草を吸い、大人とも渡り合う一風変わった少年だった。成長したリュシアンは、ピアノ弾きとして働きながら、美術学校に通う。そこでサルバトール・ダリの愛人と出逢い、一夜を共にする。その後、リュシアンは音楽の道で生きていくことを決意。最初の妻エリザベットと結婚する。同時に作曲も始め、キャバレーでピアニスト兼歌手として働きはじめる。セルジュ・ゲンスブール(エリック・エルモスニーノ)と名乗るようになったのはその頃。人気作曲家となったゲンスブールに曲を提供してもらいたいという有名歌手は列をなした。その頃、人気絶頂のブリジット・バルドー(レティシア・カスタ)と恋に落ちるが、バルドーの夫の怒りを買って収束。傷心のゲンスブールを慰めたのは、映画『スローガン』で共演した20歳の女優ジェーン・バーキン(ルーシー・ゴードン)だった。バーキンはゲンスブール3人目の妻となり、愛娘シャルロットも誕生。やがて2人はデュエット曲『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』を発表。この大ヒットでゲンスブールは世界的に知られるようになってゆく。その後も2人で多くの曲を世に送り出すが、ゲンスブールの心臓発作をきっかけに、夫婦の関係に亀裂が入り始める。バーキンの制止をよそに酒とタバコを辞めないゲンスブール。そして互いの溝を埋められないまま、ついに2人は離婚。その後も反体制的な作品の発表や言動を繰り返すゲンスブールは、フランス国家『ラ・マルセイエーズ』をレゲエ・ヴァージョンに編曲し、“売国奴”とマスコミや右翼団体から標的にされてしまう。その頃、30歳年下のモデル・歌手バンブー(ミレーヌ・ジャンバノワ)と同棲。2人の間には息子も誕生し、彼女が最後のパートナーとなった。

キャスト

役名 俳優
セルジュ・ゲンスブール エリック・エルモスニーノ
ジェーン・バーキン ルーシー・ゴードン
ブリジット・バルドー レティシア・カスタ
ジュリエット・グレコ アンナ・ムグラリス
フランス・ギャル サラ・フォレスティエ
フレエル ヨランド・モロー
  ダグ・ジョーンズ
  ミレーヌ・ジャンパノイ
  クロード・シャブロル

受賞とノミネート

映画賞・映画祭 部門 候補者 結果
セザール賞 作品賞   ノミネート
主演男優賞 エリック・エルモスニーノ 受賞
助演女優賞 レティシア・カスタ ノミネート
新人監督作品賞 ジョアン・スファール 受賞
撮影賞 ギョーム・シフマン ノミネート
音響賞   受賞
編集賞 マリリーヌ・モンティウ ノミネート
美術賞 クリスティアン・マルティ

フランス映画の特徴

 フランス映画の特徴、特質は、映画を「第7の芸術」と呼ぶフランス人の考え方から来ている。 ハリウッド映画の娯楽大作のような大衆迎合型の映画ではなく、監督、脚本家などが、一人の作家として、または、集合体の作家として、一つの芸術作品を創り上げる。そこには、作り手の美学や哲学が濃厚に表れるため、一つ一つの作品が誰でも飲みやすいように希薄に薄められたワインではなく、渋みや苦味を含んでいる。

 フランス映画史において、特質すべき動きは1950年代末からの「ヌーベル・バーグ(Nouvelle Vague)」であることは、よく知られていることである。ゴダールやトリュフォー、リヴェット、ロメール、シャブロルなどが監督として挙げられるが、一概に彼らの共通点を指摘することは困難である。しかし、その映像手法にとって見れば、撮影機材の軽量化による、ロケ撮影が中心となったことや、また、リアリティを追求して、音声の同時録音、また、アドリブ(即興演出)などの共通性がある。その他には、長いトラッキングショットなども挙げられる。

 それらのテーマについて言えば、「人間の存在」を取り上げることが多い。人間を抑圧し、その状況の中で自分という存在の愚かしさを受け入れる姿を描く。 哲学的には、実存主義に強く影響を受けているといえる。

 しかし、今日では、フランス本国の批評も自国の映画産業の衰退を嘆くものが多い。アメリカ、ハリウッドの娯楽大作による娯楽の大量輸出によって、映画は「芸術作品」ではなく一つの「生産物」としての側面が顕著になった。芸術作品は、直接的に娯楽を生み出すものではないので、商業的な利益とは合致しない。従って、近年ではその波に押され、フランス映画もCGやスペシャルエフェクトを取り入れて、ハリウッド映画化していると言われている。

歴史

19世紀後半から20世紀初頭

映画というメディアの創成期において、フランス映画の技術は世界一を誇っていた。映画が発明されたのがフランスであったためである。1895年12月28日、リュミエール兄弟がシネマトグラフを公開した。1895年にパリで公開されたリュミエール兄弟のL'Arrivee d'un train en gare de la Ciotat映画作品の誕生と言われている。

続く数年間、世界中で映画という新しい手法を使って実験的作品を制作する人々が現れた。1902年にはジョルジュ・メリエスによる世界初の物語のある映画『月世界旅行』が公開。彼はまた、多くの映画技術を編み出した。1908年、映画を芸術に高めようという動きが起こり、ル・フィルム・ダール社が設立される。ル・フィルム・ダール社による映画『ギース公の暗殺』が公開され、ヒット。

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間、ジャック・フェデーはフランス映画界において詩的リアリズム(poetic realism)の先駆者となる。彼はまたアベル・ガンス、ジェルメーヌ・デュラック、ジャン・エプスタインと共にFrench Impressionist Cinemaの主要人物ともなった。

1935年のはじめ、脚本家で俳優でもあったサッシャ・ギトリが初監督作品を完成させた。彼は30以上の作品を制作し、この時代の先駆者となった。

1937年、画家のピエール=オーギュスト・ルノワールの息子ジャン・ルノワールが傑作『大いなる幻影』、1939 年には『ゲームの規則』を完成させた。映画批評家の中には、これらの作品を映画史上で最も優れた作品だとする者もいる。

1930年代の目だった作品としては、ルネ・クレールの『巴里の屋根の下』(1930)、ジャック・フェデーの『女だけの都』(1935)、ジュリアン・デュヴィヴィエの『我等の仲間』(1936)などがある。

第二次世界大戦後:1940年代から1970年代まで

マルセル・カルネの監督した『天井桟敷の人々』は第二次世界大戦下の戦時中に撮影され、1946年に公開された。この3時間に渡る映画は、当時フランスがナチの支配下にあったため、製作が非常に難航した。1828年のパリを舞台にしたこの作品は、1990年代、600名の映画批評家や映画製作者によって「これまでに作られた最も優れたフランス映画」に選ばれた。

また、1946年にはフランス政府がカンヌ国際映画祭を開催しはじめた。

1951年、アンドレ・バザンによって映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」が発行され、多くの若い批評家や愛好家たちグループらの議論の場となっていた。更に、批評の執筆者であったジャック・リヴェット、エリック・ロメール、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロルなどは、映画の助監督の経験もないまま自分達で個人的に映画製作を始め話題になった。その動きは後にジャーナリズムによりヌーヴェル・ヴァーグと名付けられた。フランスのプロデューサーたちは、彼らの映画が制作費の安い割に話題になる事が気に入った。

当時の野心的な映画の潮流は大きく分けて、アラン・レネのような実験的映画作家出身のグループと、雑誌カイエ・デュ・シネマの若手批評家らの自主制作グループがあった。同じころ、映画業界から助監督出身の若手監督ロジェ・ヴァディム、ルイ・マルなどの商業映画のグループが斬新な感覚の作品で興行的に成功する。彼らはそれぞれ作風や立場も明らかに異なっていたが、ジャーナリズムは彼ら全てをひとまとめにし「ヌーヴェル・ヴァーグ」と呼んだ。

ヌーヴェル・ヴァーグの初期の作品としてジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグら主演のゴダールの『勝手にしやがれ』(1960)、トリュフォーの『大人は判ってくれない』(1959)、シャブロルの『いとこ同士』(1959)がある。

1960年代の注目すべき作品にはジャック・ベッケルの『穴』(1960)、ルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』(1960)、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞したアラン・レネの『去年マリエンバートで』(1961)、ジャック・ドゥミの『シェルブールの雨傘』(1963)、ロベール・アンリコの『冒険者たち』 (1967)などがある。

若い映画作家の台頭は、フランスだけに留まる現象ではなかった。ほとんど同時期に世界中にその影響を波及させ、若い世代の映画作家たちの活動が各国で次々に起こった。結果、1960年代は世界的に映画の変革期となった。

1980年代

ジャン=ジャック・ベネックスが『ディーバ』(1981)を完成させたとき、80年代のフランス映画ブームが始まったと言える。ベネックスの『ベティ・ブルー』(1986)、リュック・ベッソンの『グラン・ブルー』(1988) 、レオス・カラックスの『ポンヌフの恋人』(1991)などがそれに続いた。

1990年代

1991年、ジャン・ピエール・ジュネが『デリカテッセン』を監督、続いて1995年に『ロスト・チルドレン』を製作。双方ともファンタジー色の強い作品であった。

1990年代半ば、ポーランド出身のクシシュトフ・キェシロフスキが「トリコロール3部作」と名付けられた『トリコロール/青の愛』、『トリコロール/白の愛』、『トリコロール/赤の愛』を完成させた。

また、1995年には若手監督マチュー・カソヴィッツがフランスにおける人種問題を扱った作品『憎しみ』でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。

2000年以降

ハリウッドでしばらく活動したジュネは2001年にフランスに戻り、マチュー・カソヴィッツとオドレイ・トトゥ主演のファンタジー映画『アメリ』を完成させ、この作品は日本でも大ヒットした。

2000年以降のヒット作にはマチュー・カソヴィッツの『クリムゾン・リバー』(2000)、ジェラール・クラヴジックのアクション・コメディ『TAXi2』(2000)、コリーヌ・セローの『女はみんな生きている』(2001)、セドリック・クラピッシュの『スパニッシュ・アパートメント』(2002)などがある。